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2018年10月15日
乙原(おっぱら)

長い間住んでいても由緒の分からない地名が多い。「乙原」もその一つで、周りの人に由来を聞いても暖簾に腕押しということになる。それでも長い間考えてきたので、ぼんやりした輪郭が見えることもある。
郡上で頭に浮かぶのは相生の隣にある西乙原と対岸の東乙原、そして友人の住む旧東村の乙原で、いずれも表記は「乙原」となっている。大和の落部(おちべ)にやはり「乙原」があり、やはりこの字が使われている小字(あざ)がある
正保の郷帳に西乙原村がこの字で載っている。語源が不明なので、他の地区の用字を探っていくと、「追原」「大原」などが見られる。ここ数年は「追原」が気になっている。
「乙原」はどこでも「おっぱら」と読むかというと否である。「オチバラ」「オトハラ」(岐阜県揖斐川町)「オトバル」「オンバラ」などで、「おっぱら」と読むのは東部方言の西端であることを示しているかもしれない。
岐阜県加茂郡七宗町に「追洞(おっぽら)」という地名がある。「追いかける」が母音を減らして「追っかける」と音便になる点は通じている。この例から、「乙原」の「乙」が「劣(おと)る」「追う」などの音便になっていると考えられよう。
郡上には「追分(おいわけ)」の地名がないことを不思議に思っていた。ここでは分かれ道を「二間手(ふたまて)」と言う例がある。馬や牛を追って道が分かれるとしても、人が中心になっているので「追分」がないのかな。
郡上が馬の大産地であったことからすれば、「追分」に類する言葉がないことを不思議に思っていたので、この「乙原」を「追原」と解して、馬や牛に関連するのではないかと推測してみた。
旧東村の乙原は金山と郡上への分かれ道があり、牛馬を追い分けたに追分に近い地名かもしれない。この地区は馬も牛も考えられる。
これに対し西乙原は近世に牛を飼っていたという記録はないし、むしろ杉原の熊野神社ではこれを嫌っていたという伝承もある。なるほど高賀山信仰の地元と言ってよさそうだ。従って、こちらは馬に絞っても大過なかろう。
西乙原にしても、江戸時代に船渡場があったことが知られており、「追分」の意味がないとは言えない。
「原」に注目すれば、江戸時代初期に分知された乙原遠藤の馬場(ばば)があったという証拠があるし、乙原の広さからすれば、調練場や放牧場があっても不思議はない。
乙原がどれほど遡れる地名なのか分からないが、「追原(おっぱら)」でよければ、少なくとも戦国時代までは遡れそうだ。
髭じいさん

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