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2017年10月30日

牛首雑感(下)

牛首と牛頭は出自が本来異なるのではないか。郡上における牛首の分布が吉田川以北に多いことから、私は、これを白山信仰の影響があると考えている。読み返してみたが今回は少しばかり理屈っぽい。耐えていただければ面白くなるかもしれない。
『風俗通』という後漢代の書物に、牛首に関連しそうな文がある。余り知られていないし、重要と思われるので以下引用してみたい。
「會稽俗多淫祀 好卜筮 民一以牛祭 或貧家不能以時祀 至竟言不敢食牛害 或發病且死 先爲牛鳴 其畏懼如此」(卷九「會稽俗多淫祀」)
「會稽の俗は淫らな祭祀が多く、卜筮を好む。民は牛祭をその一つとする。貧しい家はこの祭りができないので、終わるまで牛肉を食べないと言う。或いは発病して死ぬのは、先に牛が鳴いていたためとする。畏懼することかくの如くである」
「會稽」と言えば、越地で、倭人の出どころとして史書に記されている。彼らが列島各地に植民したのは間違いあるまい。私は、後漢代に越国(こしのくに)へも展開したと推測している。
『続日本紀』天平十三年(741年)二月七日の詔に「今聞 國郡未能禁止 百姓猶有屠殺」とあり、牛馬を殺すことを禁止している。祟りを逃れようとして毎年牛を一頭犠牲にして漢神に供えるというような「邪教」が広がっていたからだろう。
おそらくこれに関連して、延暦二十年(805年)四月八日条で越前一国へ対し、牛を屠って神を祀ることを禁止している。
ならば逆に、少なくとも越前では延暦代に牛首と思われる習俗が広がっていたと解せるのでないか。私はこれを牛首信仰の痕跡だと考えている。
これに対し牛頭信仰は来歴も確かで、インドから中国を経由して本邦へ移された神である。中国や韓半島で同一視された時期があるかもしれないが、牛頭からは血なま臭さが抜け、牛首とは随分違う印象を受ける。
かつての牛首村にあった鎮守は八坂社で、祭神は牛頭天王であった。村名の牛首がこの牛頭を語源にするという伝承はどうか。
延暦代に牛首と思われる習俗が広がっていたわけであるし、もと京都祇園社が貞観十八年(876年)に播磨の広峯から牛頭天王を勧請したという伝承がある。
奈良時代を生きた泰澄が牛頭天王と十二神将を祀ったという説はいずれの点からも齟齬があるようにみえる。越前において牛首と牛頭が習合したのは平安中期以後ではなかろうか。仮に伝承を史実としても、それ以前に牛首が民間で根強く信仰されていただろう。
以上、私は牛首と牛頭を異なる信仰として別の時期に別のルートで郡上へ広がったと考えたいのである。
髭じいさん

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