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2018年3月4日
歴史と文化を活かした町

白河では第2次総合計画を実施中ですが、中でも重点戦略プランとして「白河の歴史と文化を活かしたまちづくり」がある。私にとっては、やっとこさきみちゃんの出番が来たかの思いです。と言うのは、そんな目的でシリーズとしてきた「赤い靴はいてた女の子」の完結編をこの3月3日に上梓する事ができたからです。これによって、女子の教育に重きを置くべきと訴え続けてきたその成果が期待できそうです。なにせ、日本は卑弥呼、天照大神、大日如来と女系と思われる大先達が居られての大和心の国まほろばだと訴え続けてきましたので、それを思うとここ白河が古代を語らずに松平定信一辺倒は誠に遺憾でありました。この時期が天皇退位と重なったのも偶然では無いと、今や自画自賛、白河に来て15年、平成30年は正に白河にとって平和祈願元年、子供たちにとって希望元年になるのではないか、いやそうしなければと心新たにしています。女系天皇があって良い、これも可能性が見えてきましたね。

2016年4月7日
那須・白河新都構想

前回は映画「母と暮らせば」を紹介させていただきましたが、実はこの映画はお隣りの那須塩原まで見に行った映画です。何故なら、東北の玄関口《文化薫る白河》と胸を張り、今は百億超の金額を予算計上して交流の場《文化ホール》を建築中の白河には映画館も美術館も無いのです。映画を見るのも、美術展を見るのも郡山まで行かなければ見れないんです。これは白河に転居しての私の大きな不満であり、納得のいかない行政感覚です。
何かというと松平定信、南湖公園、小峰城。新幹線はあってもある場所は西郷村であり、北海道新幹線開業には全く関係の無い一時間にやっと一回停車する通過駅に同じ存在。まっ、これに抗議して3回市長選に立候補していますが、既に75歳。80歳まで生かしてもらえば、那須と白河合併を旗印に、今一度の立候補をもくろんでいます。それは首都機能移転ではなく、那須・白河を跨いだ新都。まさに平和まほろばを掲げた国際都市をつくるのが私のなんとしてもやり遂げたい大きな夢です。
叶えば、新幹線は当たり前に停車して、ここを基点にした観光日本が当たり前になるでしょう。当然、外国からの観光客を迎えるために福島空港は国際空港にします。


2015年12月9日
母と暮らせば

東京から白河に移り住んで12年、その間首長選挙に5回、県議選に1回都合6回も出馬、いずれも大差で落選だが、何故繰り返し白河から当選目当てでなく出馬を繰り返すのか、有権者にはなかなかに届かないようだ。改めて言わせてもらえば、「しっかりせい若者!」の繰り返し。地方創生、地方創生の掛け声だけが空しく響く地方の現実が、繰り返す選挙で嫌と言うほど身に沁みててわかった。だったら、じゃあもうやめようとは思わない。これが地方にとって深刻な現実なのだから。その原因は貧富の格差、教育の格差等々、社会にあると私は若者を長いこと擁護し続けてきたが、ここに至って、ようやく原因が分るような気がする。それは、若者の想像力の欠如だ。これは自ら磨く事ができる、決して社会の責任ではない、若者は逃げている、そう思うようになった。
若者に「戦争って、どう思う」と問いかけてみると、「さあ、、」と後が続かない。反対なのか、賛成なのか、戦争自体をイメージできないのだろう、毎日スマホばかりチャカチャカひねくりまわしていればそうなるのだろう。山田洋次監督と吉永小百合のコンビで上映される「母と暮らせば」の映画、想像力なしで見ることになる若者たち。お二人の鬼気迫る戦争反対の執念、怨念、伝わるだろうか、伝わらないとなると、日本のこれからが、また一段と心配になる。我々世代なら号泣だろうが、少しでも良い、想像力を精一杯働かせて、涙を流して欲しいと、願う。


2014年11月23日
白河の子供も同じです。

第21回西郷村少年の主張大会 中学生の部最優秀賞
  もう一度、美しい福島に
             西郷第一中学校三年 鈴木雄大
 東日本大震災から三年以上の月日が過ぎましたが福島第一原発が爆発したあの日から、僕たちの生活は一変しました。
 祖父母が心をこめて作ったおいしいお米や野菜も、村で設置してある放射能測定器で測らなければ食べられないという不自然な形になってしまいました。
 自分では何も出来ないと思っていた時に、僕は自分の考えを変える大きな機会に恵まれました。水俣病のことを学んでこれからの福島に生かしてほしいという熊本県水俣市のみなさんの願いから「水俣との交流事業」に参加することができました。
=中略=
 今回の原発事故は、一瞬の出来事でした。しかし、事故前のように元に戻るには、何十年という長い年月がかかります。何もしなければ何もかわりません。=中略=水俣のみなさんも、どんなにつらくても自分たちの手で美しい水俣をよみがえらせました。だから、僕たちも絶対にできます。僕はそう信じて、できることから一歩一歩前に進んでいきたいと思います。もう一度、美しい福島を取り戻すために・・・

広報 にしごう 10月号より部分転載


2013年10月30日
白河を変えたい

白河が変わる予感がすると、さまざまなイベントが数多く行われる中で思いましたが、その方向性が問題でしょう。行政的には旧市街地にある小峰城を中心とした、白河自体の観光地化に重点が置かれているように思われる。私自身が市長選に出て、強く訴えたように、これには反対です。ほどほどの観光資源は確かにあるが、小峰城ひとつとっても、他所にある数々の名城に比べれば、比較にならないだろう。端(はな)から勝負にならない観光資源にいくら国から補助金が出るからと言って、大金を更に投じるのは、そもそもの無策であって間違っている。
それよりは、縄文時代にまで遡らないまでも、古代より白河は日本文化交流の分岐点であり、発祥の地でもあった。その場所が白河二所ノ関である。ここを荒れ放題にして、白河の明日はないだろう。
「赤い靴はいてた女の子」は、今回の原発事故を発端に、東北がこれからの国際文化交流のメッカになってほしい、その地が白河であると、そんな提言を込めて書いた本である。
即ち、実らぬ白河の観光地化は即止めて、大金は人材の育成と誘致に注ぐべきだ。白河という価値ある土壌は世界を視野に活用すべきなのだ。未熟な自費出版本ではあるけど、多くの人に読んでほしいと思う。


2013年2月13日
続・白河流おもてなし

大ブレイクしているNHK大河ドラマ「八重の桜」ですが、これから放映される戊辰の役の戦場はまさに白河です。会津の敗戦はこの白河の戦いで実質決着してしまうのです。市の中央を流れる谷津田川(やんたがわ)に架かる橋の欄干には多数の会津兵が捕らえられて刎ねられた首が晒され、その首から滴る血で川は真っ赤に染まったと言います。死者の多くが幕府側の会津兵でしたが、少数でしたが官軍側にも当然に死者が出ました。その両軍の死者を丁重に葬ったのは、白河城下に住む住民でした。これに感謝して、いまでもご遺族が遠く岐阜などから焼香に来られるそうです。これこそが、白河の誇る白河流おもてなしです。白河流の観点から言わせて貰えば、多くの兵を無駄死にさせたこの戊辰戦争、《ならぬことはならぬ》と鉄砲で頑張った八重さんを徒に持ち上げるのは疑問ですね。谷津田川の橋の欄干に晒された側からすれば憎い官軍であり、その兵を弔う白河の民を許せないとなるでしょう。民としては繰り返される戦は好みません。白河流のおもてなしこそが本当のおもてなしだと、私は語り継いでゆきたいと思っています。

2013年2月13日
白河流のおもてなし

《おもてなし》と言えば東北でしょう。東京生まれで東京育ちの私が言うのですから、かなり公平に見たうえで言っています。その東北の玄関である白河に大好きなお馬さんと7年もの間住んでみて、どうにも可笑しいなと思う事になったのが、このおもてなしが白河では感じ取れない現実がありました。それは白河に限らず東北の入り口にあたる福島県南一帯が東京に近いと言う事もあるからか、都会志向に偏り、もっぱら企業誘致の連呼で、子供たちにも郷土の歴史は何も継承されずに、都会育ちの私が見入って立ち止まる石碑の説明を行き交う地元の人に聞いても説明の出来ないなど、都会から訪れてのおもてなしの初歩の初歩で裏切られる有様です。そんな筈はないと、図書館通いなどして勉強しました。白河流のおもてなしはちゃんとありましたよ。=続く=


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