しかし、母・友 ( 友順尼 ) から東家に伝わった最古の写本「古今和歌集巻第二十[高野切]」に代表される古文書等を譲り受けたことは推察でき、嫁ぎ先の山内家に所蔵されていても不思議ではありません。
戦国時代、美術品としての価値を高めた古今和歌集は、武将の褒美に使われることも多々あったようです。東常縁は、斎藤妙椿に奪われた郡上の篠脇城を、京都で十首の歌を詠んで取り返したエピソードがあります。当時の和歌の位置がいかようであったかは想像がつきます。
写真右上:木蛇寺殿墳記・正宗龍統撰 江戸中期写/木蛇寺殿とは郡上東氏七代東益之(常縁の父)のこと。 33回忌にあたり、その子で京都五山建仁寺の住持「正宗龍統」が書いた。他の系図等に書かれていない事蹟が多く、東氏研究の根本資料の一。[東氏記念館より] 写真右下:見性院肖像画
*NHK大河ドラマ「功名が辻」は司馬遼太郎氏の原作に基づいています。氏が「功名が辻」を発表したのは昭和 38 年。 郡上説が浮上してくるのは昭和 40 年代になってからのことでした。